トロンボーン

バストロンボーン奏者・武崎創一郎のプロフィール

ようこそ、バストロラボへ!
このブログを運営しています、バストロンボーン奏者の武崎創一郎です。

私のブログを読んで頂くにあたって、まずは私のことを少し知って貰おうと思います。

それなりに長いですが、演奏のヒントは特に隠されておりませんので悪しからず笑

https://takesotrb.com/trombone-practice/

音楽との出会い

生まれは東京、1歳を過ぎて間もなく父親が他界、その後は栃木県益子町で育った私。
両親共に音楽大学出身だったこともあり、物心ついた時には音楽は身近なものでした。

一番最初に触れたのがピアノ、4歳くらいの頃です。
先に習っていた姉の影響で始めましたがどうにも好きになれず、しかしほんの少しずつ上達しながらダラダラと長続きしたのでした…。

もちろん音楽と一生の付き合い、まして仕事にまでなるとは、知る由もありません。

トロンボーンとの出会い

そもそもなぜトロンボーンだったのか。
実は亡き父が生前、仙台フィルハーモニー管弦楽団(当時の宮城フィル)のバストロンボーン奏者だったのです。

もちろん楽器も家にあったのですが特に興味も無く(笑)手に取ることはありませんでした。
そこへやって来たのが、姉の知り合いのアマチュアトロンボーン吹きの方。(姉は当時アマチュアオーケストラでヴァイオリンを弾いていました)
ひょんなことから父の楽器を手入れして、基本的な音の出し方を教えてくれたのです。

当時中学2年生の終わり。
この時なんだかビビッときまして、「俺、これで生きていく」と思ったのです。順番めちゃくちゃですが(笑)

私はすぐに音楽の先生にトロンボーンを吹きたい旨を伝えました。
中学校は剣道部に入っていましたが、掛け持ちという形で吹奏楽部にも加わることに。
人生が決まった瞬間です。

ちょうど高校受験の志望校を決めるタイミングでもあったので、地元で吹奏楽部の盛んな男子校・真岡高校に決定。
学力的には少し背伸びをしましたがなんとか合格、トロンボーン三昧の高校生活を送る事になるのでした。

トロンボーン漬けの高校生活、挫折そして浪人生活へ

高校生になってからはプロオーケストラ奏者の先生のもとに通うようになり、専門家を目指す一歩目を踏み出しました。

(ちなみにこのタイミングで母に新しい楽器を買ってもらい、テナートロンボーンを吹くようになります。)

高校でもひたすら練習の日々で、

  • 始発で登校して授業開始まで練習
  • 早弁しておいて昼休みに練習
  • 部活後も終電まで練習
  • 土日の模擬試験を受けずに練習 

このようにトロンボーン以外はほとんど何もしていませんでした。
好きにさせてくれていた先生方にはとても感謝しています。
進学校だったので、クラスでは浮いていましたが笑

そうして徐々に力をつけていきましたが、吹奏楽部を引退していよいよ受験準備という高3の秋、謎の不調に襲われ突然音が出なくなっていまったのです!

今となっては謎の不調ではないのですが当時は成すすべもなく、現役の音大受験までに復活できませんでした。
浪人生としての生活が始まりました。

再起、新たな出会い

浪人してもう1年死ぬ気でやってやる!
と決意に燃える武崎少年。
しかし相変わらず音は出ません。
漠然とこのまま続けていても何か良くなる気はしなかったのです。

当時習っていた先生も同じように考えて下さっていて、この手の不調に詳しい別の先生を紹介してくれました。
その先生とは仙台フィルハーモニーの奏者を務める方でした。

亡き父親が在籍していたオーケストラ。
何か運命的なものを感じながら、仙台で1年間学ぶことになりました。

この1年間は本当に学ぶことが多く、また、大所帯の門下だったのでたくさんの仲間に出会うことができました。

中には私と同じようにプロの楽団に籍を置く人、フリーで最前線で活躍する人もいて、とにかく良い環境であったことは今も鮮明に覚えています。

そうして無事に、以前よりもパワーアップして復活を遂げ受験に合格。
晴れて国立音楽大学に進むことになりました。

音大での4年間、葛藤と現実

音楽大学では以前にも増して、音楽一色の生活が待っていました。

  • 授業の大半が音楽の話や実技
  • どこにいても何か音が聞こえる
  • ピアノも弾く、歌も歌う

楽しかったですね。
大学生特有の「1限だるーい」みたいなことが私はあまりありませんでした。

しかし代わりに押し寄せてくるのは「俺、本当にプロになれるのか…?」という恐怖心。
プロ楽団のオーディションというのはそうそう数あるものではありません。

いつ来るのかわからないオーディション、いつ誰から貰えるのかわからない仕事、怖いものだらけでした。

その中で私にできるのは、ただただ練習し続けることのみ。
今の私でも、練習しかないよ!と言いますが、先の見えない努力は苦しいもの。

いつしかプロになるということが、ものすごく遠いことのように思えていたのです。
私は少しずつ情熱を失っていきました…。

そんな中転機が訪れます。

バストロンボーン専攻生がいなかった私の学年、しかしながらアンサンブルや吹奏楽・オーケストラの授業ではバストロンボーンがどうしても必要になります。
以前バストロンボーンを吹いていて楽器も持っている私にはうってつけでの役割でした。

もちろんテナートロンボーンと持ち替えながら取り組む形となりましたが、改めてバストロンボーンの魅力に気づきます。

「そうだこの楽器を手にして、プロになる決意をしたんだ!」

そう気づいた私は、この時にバストロンボーン専攻に変わることを決意しました。
また父親の楽器が人生を変えたのでした。

それからというもの私は水を得た魚のように練習が楽しくなり、お仕事も少しずつ取れるようになっていったのです。
くすぶった時間もありましたが、実り多き4年間を送りました。

フリーランス、そしてついに…

大学4年間オーディションらしいオーディションがなかったため、卒業後はフリー奏者として社会に出ることになりました。

ありがたいことにたくさんのご縁を頂き、様々なお仕事をしました。

  • プロオーケストラ・プロ吹奏楽団のエキストラ参加
  • 中高生・アマチュアの方へのレッスン
  • 映画やCM用のレコーディング

本格的にプロの現場に出るようになると、自分の演奏への意識も大きく変わります。

普段の練習から
「この音ひとつひとつが生活に直結している、自分を作っている」
という感覚を自然に持つようになりました。
同じ練習をしていても気構えひとつでこんなにも結果が変わるものなのか、と自分で驚いたのをよく覚えています。

オーケストラに入るまでフリー奏者を丸3年やりました。
これは業界の中では短い方だと思いますが、この経験は今でも私を支えています。

フリー2年目の夏、自分でもなかなかの手ごたえを感じながら終えた、広島交響楽団のオーディション。
なんと合格の知らせをいただき、念願だったプロオーケストラ奏者になりました。

プロオーケストラ奏者としての想い

広島に来てからは、ひたすら仕事に打ち込む日々。
トロンボーンばかり吹いているのはずっと変わりませんが、自分の職場で・誰との上下関係もなく・思い切り演奏できることは幸せ以外の何でもありませんでした。

そしてそれは実はフリーの時からそうであった、その事にも気づきました。
私を現場に読んでくださる誰もが、私を応援して仲間として迎えてくれていたのです。

私はまだまだ若い奏者ですからあまり偉そうな事は言えませんが…。
もっと若いこれからプロを目指していく奏者の皆さん、プロを目指さずとも日々練習に取り組む皆さんが、もっともっと楽しく喜びをもって演奏できるお手伝いができたらと思っています。



長いプロフィールでしたが、最後まで読んで頂きありがとうございます!